先:桑原秀策、井上(幻庵)因碩 325手、黒半コウ勝ツグ、黒三目勝ち。
(棋譜の手順が正しいなら実際は、黒二目勝ち)
「日本囲碁体系第15巻の(秀策)」では、黒3目勝ち。
「依田流並べるだけで強くなる古碁名局集」では、黒2目勝ち。
と棋書によって違いがあったのは、そういう理由でしたか。
棋譜結果表記は、3目勝ちとなっているが、棋譜の手順どおり終局まで打つと2目勝ちとなるということです。
棋譜の手順が正しいとみなして、黒2目勝ちが妥当かと思いました。
対局の背景
(注:幻庵は隠居してからの号)
本因坊丈和との、術策の限りをつくした名人争いに敗れ、愛弟子赤星因轍も丈和に打ち殺され(吐血の局)、自ら立った爭碁も気鋭の秀和に、はばまれて果たさず、宿願の名人碁所は手が届かぬままに終わった。
因碩は、江戸を捨て、しばらく大阪に定住した。
秀策は16才の時、4年ぶりに故郷(現在の広島県尾道市)に帰り、しばらく故郷で囲碁の勉強をしておりました。
18才の時に再び修行のため本因坊家に向けて出発、旅の途中で大阪に立ちより、そこで、幻庵因碩と対局することとなりました。
注目の初回は、秀策が手合いどおり(幻庵因碩は八段、秀策は四段)2子を置いて102手まで進んだところで、幻庵因碩は、「2つは手合い違いのようだ。この碁は打掛にし、明日あらためて先番を打とう。」
こうして、始まったのが有名な「耳赤の局」であります。いわれについては、Wikipedia等でご確認ください。
耳赤の一手は、「上辺の黒模様を盛り上げながら、右辺の白の厚みを消し、下辺に浮いている黒4子を応援し、左辺の白の薄みも狙う、まさに、一石四鳥の手である。」と言われています。
この碁がこのように有名になったのは、後世の人の影響であり、秀策自身も「名局」とは考えていなかったと思います。
ただ、18才で修行の身でありながら、名人の実力があるといわれていた幻庵因碩に、先で勝てたのは、大きな自信となったと思われますので、秀策の出世局とはいえると思います。
先:秀策、幻庵因碩
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(左図)
黒1、3、5は、秀策流の布石です。
白6の大ゲイマシマリは当時としては珍しいです。
黒9は秀策のコスミ。現代でも立派な手として打たれています。
白10が大斜ガケです。幻庵因碩は、難解な大斜定石に誘導しています。
(右図)
白20と基本形を外しました。白20の押しは、幻庵の新工夫と言われており、難解型へと導こうとしています。
そして、黒25と秀策が定石を間違えてしまいました。
黒25は、シチョウが良いので、N2のケイマにスベるのが当時も定石でした。
ここから、秀策の大苦戦が始まります。
私としては、ここからの秀策のがんばりがこの局の見どころだと捉えています。
難解な大斜定石
黒が一番やってはいけないのがこの参考図です。
鬼手の紹介
実戦の進行です。黒は31とキリを入れ、コウ材を2つ準備しました。
そして、黒33、35とハネ、黒39とコウでがんばりました。
(右図):参考図です。
白40とコウを取ったあと、黒1とノビるのは、白2の鬼手を喰らってしまいます。
黒3に白4とアテ、黒は取っても、次図のように取り返されてしまいます。
続:鬼手の参考図
黒5と取っても白6と取り返され、それがアタリになっているので、黒7ともう一度取ることになりますが、白8と守られて、オワとなります。
時を戻して、実戦の白36のキリがこの手順を見越しての好手でした。
(左図):実戦図、黒53まで、(右図):黒53の変化図
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(左図)
黒41に切るコウダテは損ですが仕方のないところです。
黒53のコスミに違和感を覚えましたが、それに対しては、石田先生と依田先生の解説が右図のようにありました。
(右図)
黒53のコスミを黒1と押さえて、白2、4と黒1子をキリ取られると、将来、黒イ、白ロ、黒ハのキリ取りが先手にならないとのことでした。
このキリトリを先手にするための黒53のコスミでした。専門家の芸は細かいです。
こういうところは、解説を聞かないとアマチュアには分からないところでした。
秀策、反撃開始
前図のように先手を取られるのをツラいとみて、白60と辛抱しました。
我々の世代ではこのように辛抱する手を「おしん」と言います。使われる機会は囲碁より将棋の方が多いです。
白62のヌキに黒63と生きなければならないのは、ツラいと思います。
後手二目の手を打たされているのですから。後手二目の手は最終盤で打つ手です。
しかし、秀策はここまで失点を最小限に抑えているようにも思えます。
(右図)
黒73とツケて反撃開始です。黒83、85は手筋です。すぐに切り取ってもよいくらい大きな手を残しました。
そして、黒89と打ち込み、戦線を拡大します。
耳赤の一手
前図の黒89に対して、カウンターの白90のツケです。
白96から98と白のパンチが入ります。黒111を余儀なくされ、ゆうゆうと白112とキリ取って生きます。
黒の先着の功はなくなり、ここまで、白の幻庵因碩の名局であります。
(右図)
黒127が有名な「耳赤の一手」です。
この碁は325手まで打たれ、黒の二目勝ちとなっております。
二日後の第2局は59手で打ち掛け、黒必勝の局勢なので、打ち継がなかったのだろうと言われてます。
第3局は中押し、第4局を二目勝ちと秀策は全勝で終えました。
この報はすでに伝わっておりましたので、本因坊家に戻ってすぐに秀策は五段へと昇りました。
後年、幻庵因碩は、「あのとき秀策は、すでに七段に劣らぬ実力があった」と語ったとされています。
最後に1857年、秀策が帰郷した際に、友人の石谷広策に与えた、「囲棋十訣」(いごじっけつ)の揮毫(きごう:毛筆で言葉や文章を書くこと)をご紹介いたします。
石谷広策には、秀策の棋譜を集めた書「秀策口訣棋譜」があり、そこで「先師碁聖秀策」と書かれたことが、秀策を碁聖と呼ぶ発端となったとのことです。
入界宜緩(敵の勢力圏では緩やかにすべし)
攻彼顧我(攻める時には自分を顧みよ)
棄子争先(石を捨てて先手を取れ)
捨小就大(小を捨て大を取れ)
逢危須棄(危険になれば捨てるべし)
慎勿軽速(足早になりすぎるのは慎め)
動須相応(敵の動きに応じるべし)
彼強自保(敵が強ければ自らを安全にすべし)
勢孤取和(孤立している時には穏やかにすべし)
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