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今回は、「犬養毅首相の棋譜」をご紹介いたします。
Wikipediaより
*Wikipediaより
五・一五事件は、1932年(昭和7年)5月15日に日本で起きた反乱事件。
武装した陸海軍の青年将校たちが内閣総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害した。
また、海軍将校にピストルで撃たれ血だらけの状態であるのに駆け付けた女中に「呼んで来い、いまの若いモン、話して聞かせることがある」と強い口調で語った。
武装した陸海軍の青年将校たちが内閣総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害した。
また、海軍将校にピストルで撃たれ血だらけの状態であるのに駆け付けた女中に「呼んで来い、いまの若いモン、話して聞かせることがある」と強い口調で語った。
話せばわかる
*「話せばわかる」について
犬養が殺害される際に、犬養と元海軍中尉山岸宏との間で交わされた「話せばわかる」「問答無用、撃て!」というやり取りはよく知られているが、「話せばわかる」という言葉は犬養の最期の言葉というわけではない。
前述の通り、犬養は銃弾を撃ち込まれたあとも意識があったとされている。
前述の通り、犬養は銃弾を撃ち込まれたあとも意識があったとされている。
山岸の回想
*山岸の回想
『まあ待て。まあ待て。話せばわかる。
話せばわかるじゃないか』と犬養首相は何度も言いましたよ。
若い私たちは興奮状態です。
『問答いらぬ。撃て。撃て』と言ったんです。
話せばわかるじゃないか』と犬養首相は何度も言いましたよ。
若い私たちは興奮状態です。
『問答いらぬ。撃て。撃て』と言ったんです。
三上卓の証言
*元海軍中尉三上卓の裁判での証言
食堂で首相が私を見つめた瞬間、拳銃の引き金を引いた。
弾がなくカチリと音がしただけでした。
すると首相は両手をあげ『まあ待て。そう無理せんでも話せばわかるだろう』と二、三度繰り返した。
それから日本間に行くと『靴ぐらいは脱いだらどうじゃ』と申された。
私が『靴の心配は後でもいいではないか。何のために来たかわかるだろう。
何か言い残すことはないか』というと何か話そうとされた。
その瞬間山岸が『問答いらぬ。撃て。撃て』と叫んだ。
黒岩勇が飛び込んできて一発撃った。私も拳銃を首相の右こめかみにこらし引き金を引いた。
するとこめかみに小さな穴があき血が流れるのを目撃した。
弾がなくカチリと音がしただけでした。
すると首相は両手をあげ『まあ待て。そう無理せんでも話せばわかるだろう』と二、三度繰り返した。
それから日本間に行くと『靴ぐらいは脱いだらどうじゃ』と申された。
私が『靴の心配は後でもいいではないか。何のために来たかわかるだろう。
何か言い残すことはないか』というと何か話そうとされた。
その瞬間山岸が『問答いらぬ。撃て。撃て』と叫んだ。
黒岩勇が飛び込んできて一発撃った。私も拳銃を首相の右こめかみにこらし引き金を引いた。
するとこめかみに小さな穴があき血が流れるのを目撃した。
犬養道子の述懐
*孫の犬養道子の述懐
しかし、孫の犬養道子はこれらの証言を否定しており、著書『花々と星々と』にて、現場に居た母親の証言を引用する形で、祖父の発言を次のように述懐している。
『まあ、せくな』ゆっくりと、祖父は議会の野次を押さえる時と同じしぐさで手を振った。
『撃つのはいつでも撃てる。あっちへ行って話を聞こう。ついて来い』
そして、日本間に誘導して、床の間を背に中央の卓を前に座り、煙草盆をひきよせると一本を手に取り、ぐるりと拳銃を擬して立つ若者にもすすめてから、『まあ靴でもぬげや、話を聞こう』
『まあ、せくな』ゆっくりと、祖父は議会の野次を押さえる時と同じしぐさで手を振った。
『撃つのはいつでも撃てる。あっちへ行って話を聞こう。ついて来い』
そして、日本間に誘導して、床の間を背に中央の卓を前に座り、煙草盆をひきよせると一本を手に取り、ぐるりと拳銃を擬して立つ若者にもすすめてから、『まあ靴でもぬげや、話を聞こう』
犬養首相の棋譜
この棋譜は、貴重な犬養毅先生の棋譜です。(138手完、黒中押し勝ち)
プロ棋士相手に4子局ですから、アマチュアとしては、相当な実力者です。
目の前で拳銃を構えられても落ち着き払った勇敢な態度。
プロ棋士相手に、逃げるところがひとつもない、堂々とした打ちまわし。
この棋譜は、相通ずるものがあるような気がします。
総譜は外部リンクいたしましたので、そちらで終局までご確認ください。
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