購買層が限られておりますので、出版してしばらくすると絶版になってしまいます。
ゆえに、ここでご紹介した棋書もすでに書店の店頭にはないかもしれません。
その点はご了承をお願いいたします。
著者:福井正明九段 誠文堂新光社
この対局の背景
丈和と名人碁所を争った幻庵因碩は、この機をのがさず碁所願を公儀に提出します。異議を申し立て、争碁に持ち込もうとする本因坊家ですが、丈策の力では心もとなく、秀和を矢面(やおもて:敵の攻撃して来る正面)に立たせるほかありません。
しかし、名人碁所の争碁を跡目が打つのは異例で、丈策は窮地に立たされます。
必死の懇願で争碁にこぎつけましたが、この時の条件は、「秀和の先で四番碁、打ち分けならば、幻庵因碩の碁所を許可する。」ではなかったか、と推測されています。
その第一局が打たれたのは、1840年11月29日。
7回の打ち掛け、9日を要して秀和の4目勝ちとなりましたが、途中で下血した幻庵因碩は、健康に不安を覚えて争碁をいったん取り下げました。
その2年後、健康を回復した幻庵因碩が再度対戦の機会を得たのが本局です。
福井正明先生は、岩本薫門下で1980年に首相杯優勝などの実績があります。
古碁の研究、発掘、紹介では碁界、唯一無二(ゆいいつむに)の棋士であります。
1842年5月16日打掛、17日夜通、18日昼九つ(現代の正午)打終。於・磯田助一郎宅
先先先の先番:本因坊秀和(七段)、井上因碩(八段)
激闘の始まり
本因坊家は、まだ、当主ではない秀和を立てました。幻庵因碩から見れば格下です。
幻庵因碩は、本因坊家の当主である丈策との対局を主張しても良いのですが、秀和の実力を認め、受けて立った格好となります。
白28には、黒29と出る一手です。
繰り返しますが、名人位を争う対局です。黒29が激闘が始まる瞬間でありました。
古碁を鑑賞する際、特に布石においては当時の考え方、定石等がありますから、現代の目で批判するのは良くないと思います。一手一手の主張を考えながら鑑賞するのが良いかと思います。
(右図)
一手のミスが即勝敗を分けそうな局面となりました。
白70まで互角の形勢
棋譜再生 |
(左図):実戦図、白70まで
黒も53とひとつアテておけばシチョウもゲタもとりあえず防いでいます。
黒55のアテに白56とツイで味を残します。黒57と根本をツギ白のダメを詰めます。
白58の出に黒は59をキカして61のカカエ。白62を催促し、黒63、65といったん追い出しました。
白はかまわず66と上辺を大きく囲って中央は黒にまかせます。
黒67とさらに追いますが、白68と逃げ越されると黒69ははぶけません。
白70ボウシが四方をにらむ絶好点でした。
(右図):黒57の変化図
福井正明先生は、この図は、白の厚みが勝るとし、依田紀基先生もおそらく白がいいとの判定でした。
白70まで、AIの一手(無料のAIソフト)の評価値は、黒6.6目リード。コミがないので、初手から黒6.5目リードでしたから、白70まで形勢は動いておらず、全くの互角であります。
秀和、自信のポンヌキ
下辺の黒模様に白は158から手をツケてきました。白162、164とハネアげは手筋です。
次の黒165は右図にあるように白158のポンヌキです。これは秀和の形勢に自信ありのポンヌキです。すべての味を消すためのポンヌキでした。
(右図)
幻庵因碩の無念のあらわれ
秀和が間違えることはなく、白はモチコミとなり、本来1目負けのところを5目損をして、6目負けとなりました。
(右図)
黒2のヌキに白3と取り返すことになりますが。
黒4ともう一度取り返せます。
この形は、隅のマガリ四目です。
この碁は270手まで打たれ、黒の6目勝ちとなっております。
おそらくは、そうではなかったのでしょう。
どうしても1目足りないと知った時、この一局にアクセントを付けるため、あえてモチコミをしたのではないでしょうか。
1目負けも6目負けも同じ負けですし、手無しは分かっていて秀和が間違えるわけがないことも熟知していながらの着手に違いありません。
好局をのがした無念の心情が溢れ出たともいえるようです。
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