こんにちは。こんばんは。
ご訪問いただきありがとうございます。
管理人の柿門です。(。・(エ)・。)ノ
今回は、「本因坊秀策その2(秀和2)」をご紹介いたします。
瀬越憲作先生のコメント
「秀策先生は、強力と読みの深さを奥深く蔵して、碁の複雑性を簡明にしている」
石田芳夫先生のコメント
「秀策先生の布石の骨子は、局面を簡明化し、先着の効を確実に維持させるところにある。これで勝てると見れば無理をせず、一番わかりやすい手を打つ」
李昌鎬(韓国の大棋士)のコメント
「私は一生かけても秀策先生には及ばないだろう」
瀬越憲作先生、石田芳夫先生のコメントにあるように
「碁の複雑性を簡明にしている」
「勝てると見れば無理をせず、一番わかりやすい手を打つ」
これが本因坊秀策の碁ではないかと思われます。
そうであれば、我々アマチュアとって最高のお手本となるのではないでしょうか。
本因坊秀策は「ヒカルの碁」の影響もあり、日本で特に有名な棋士のひとりとなりました。
これより、しばらく、本因坊秀策の碁を並べてみたいと思います。
黒:秀策、白:秀和
先:桑原秀策、本因坊秀和
秀和との17連戦の9局目。
1847年7月13日。秀策のお誕生日は、1829年6月6日(文政12年5月5日)とありましたから、時に秀策18才であります。
ここまで、秀策の7勝1敗。同門でなければ、とうに手合が先相先になるところですが、秀策は、秀和に対して頑として白を持とうとしなかったとあります。
丈和、丈策、秀和を「師」と仰いでおり、師に対して白を持つなど謙虚な秀策には、できることではなかったとあります。
1、3、5の秀策流
実戦図:黒13まで
棋譜再生
実戦図:黒13まで
黒1、3、5の秀策流の布石です。
当時は白4で空き隅に向かわず、カカリを優先する碁がほとんどでしたので、秀策流に構えられます。
ところで、なぜ、白4で左下隅に、当時は向かわなかったのでしょうね?
コミがないので、カカリからの先制攻撃を優先していたのでしょうか。
黒11、白12、黒13は、AI流というか現代の打ち方のようです。
当時の新型定石誕生
「白20、黒21はともに形の急所である」
「白26まで当時の新型であろう」
と石田芳夫先生のコメントであります。
白18のノビが温く、白21と厳しく二目の頭をたたきたいところでありました。
秀策の先制攻撃
黒27と三目の真ん中への急所攻撃から開戦です。
「白28のおさえは気合」と石田芳夫先生のコメントです。
白52と黒3子取りにまわり、このワカレは少し白に分があったようです。
逆襲の秀和
左辺でのコウ争いは、白84で決着し、黒85の二子取りと代わりましたが、ここまで白の秀和がうまく立ち回っているようです。
白86と攻撃にまわり、すでに先着の利は無く、盤面勝負の形勢となっております。
黒109からの反発
実戦図:白126まで
棋譜再生実戦図:白126まで
白102、白104は、イの断点を意識しております。
白108に対して、黒109と現代風の反発です。
AIの一手の形勢判断によると、白126まで白が3目ほどリードとなっております。
素朴な参考図
黒115のAIの一手の参考図
黒115のAIの一手の参考図
AIの一手は黒115で、上図の黒1を示しました。もし、白がツグのであれば、黒Aのノゾキから攻めながらシノげそうです。
白もツグわけにはいかにので、黒1に対しては、白Bくらいでしょう。
上辺黒二子のシノギ具合が勝負となります。
大きなフリカワリ
激戦は続いております。
白162まで大きなフリカワリとなりましたが 盤面ほとんど互角の細碁です。
この碁は267手まで打たれ、黒番の秀策の1目勝ちとなっております。
黒番では鉄壁の秀策でした。
(。・(エ)・。)ノ↓ランキング参加中、ポチ応援をいただけると励みになります。
マイナビ 天頂の囲碁7 Zen(対応OS:その他) 目安在庫=△ |
基本布石事典(下巻)新版 星、小目、その他 [ 依田紀基 ] |
ヒカルの囲碁入門 ヒカルと初段になろう! [ 石倉昇 ] |
ひと目の詰碁 (マイナビ囲碁文庫) [ 趙治勲 ] |
0 件のコメント:
コメントを投稿
コメントありがとうございます。
大切に読ませていただきます。