5歳の頃
この頃、囲碁のルールを覚えました。父親が囲碁を始めたので横で見ていたら、父が囲碁のルールを教えてくれました。
シチョウ、ゲタ、ウッテガエシを教わったことを記憶しています。
悔やまれるのは、この頃から父親といっしょに囲碁をやっていれば、相当に強くなったと想像されることです。囲碁のルールを覚えただけで、それ以上は何も進展はありませんでした。
小学生の頃
父が囲碁の雑誌(棋道、囲碁クラブ)を購入していたので、その付録である「次の一手」を意味も分からず眺めていたことを記憶しております。
また、NHKの囲碁講座を父といっしょに毎週見ていた記憶もあります。当時は講座が30分ほどあったので、それだけでも勉強になったかと思います。聞き手の堤加容子さんや講師の榊原章二先生を覚えています。榊原章二先生の講座は9子局の黒の打ち方でした。とにかく中央に出ることを教わりました。とても分かりやすかったです。
しかし、当時も囲碁を打つことは残念ながらありませんでした。
中学2年の夏休み
どういういきさつだったかは、覚えておりませんが、突然、夏休みの期間中に毎日、父と囲碁を3局対局する事になりました。
最初は当然のこと九子局から始まりました。七子局と五子局が大きな壁だったことを記憶しております。夏休みの終わり頃には手合いは2子局になっていました。ちなみに父親は当時の日本棋院の初段の免状を自慢げにしておりました。
しかし、夏休みの終了とともに、またぷっつりと囲碁との縁はなくなりました。父以外に対局する相手がいないことや他にも面白いもの、やりたい事があって、囲碁にそれほどの楽しさを感じなかったのではないかと思われます。
大学生
囲碁将棋部に入部しました。毎日、対局できたのでそれは楽しかったものです。私が入部した当時は、まだ囲碁班にも活気がありました。
しかし私の学年が進むにつれ、徐々にさびれていき、卒業すると同時に囲碁班の人数は0人になってしまいました。よく大学時代は棋力の伸びが速いと聞きますが、私は大学時代の棋力と中学2年生の頃の棋力はほとんど変わらなかったと思います。
そして、大学卒業と同時に囲碁とは、また途切れることになりました。
2010年1月
何故だか急に囲碁をやりたくなりました。インターネット環境があれば、いつでも囲碁を打てることを知り、2010年1月にパンダネットに入会し、そして現在に至ります。
囲碁は、興味があってルールを覚えたとしても近くに教えてくれる人がいないとなかなか長続きしないゲームだと思われます。
それだけ、ルール以外に覚えなければならない事がたくさんあるのです。知人や友人に教われる環境がない人は、碁会所で教えてもらうしか手段がありませんでした。
一般人は碁会所に入るなんて、フリーの雀荘に入るくらいの勇気が必要だと思います。ちなみに私は碁会所に入ったことは数えるほどしかありません。
現代はインターネットで囲碁が24時間いつでも打てるという環境になったことが碁会所しか対局手段がなかった時代に比べると大きな進歩です。
惜しむらくは、ただただ、対局してるだけなことです。教われる人がいないことには変わりません。悪い手を悪いと指摘される事がないので、いつまでたっても悪い手を繰り返します。自分が悪い手と認識できないのですからしかたがないことです。
そこで、AIの登場です。トッププロがAIに負けた時の衝撃は計り知れないものが私にもありました。これから、どうなるんだろうととても心配になりました。
しかし、そんな心配はいらぬものでした。AIで検討、研究できるようになり、囲碁は革命的な速度で進歩いたしました。
悪い手をAIは指摘してくれます。(何故、悪いかは現在は教えてもらえませんが、将来的に可能性はあります。)そして、良い手も指摘してくれます。
この機能をうまく利用することが出来るようになることが囲碁上達の近道だと思います。
故に私は、AI検討機能があるところへの鞍替えを検討中であります。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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