太閤碁(マネ碁:呉清源、木谷実)

2023/05/28

09.古碁を楽しむ

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呉清源先生は、14歳で来日されました。この棋譜は、木谷実先生との初対局で、年齢は、呉清源15歳、木谷実20歳でした。当時、木谷実先生は、院社対抗戦や他の棋戦で勝ちまくり、「怪童丸」と呼ばれていました。まさに暴れまくっていたのでしょう。

その「怪童丸」を相手に呉清源少年は、記憶に残るであろうあっと驚く、ある戦法を試みます。その戦法の名は、太閤碁(マネ碁)です。

一般的には、マネ碁は白番がマネるのですが、黒番が第一着を天元に打ち、その後マネるのを太閤碁と呼んでおります。

名称の由来は、豊臣秀吉が、その戦法で1目勝ちを収めたという逸話からきています。信長、秀吉、家康はみな、碁をたしなんでいたとされていますので、これは、のちの世の人の作り話であろうとされています。


黒:呉清源 白:木谷実 1929年6月4日

棋譜解説(数字、記号入り)


63手までマネ碁が続きます。黒65でマネ碁は終わり。白70が緩かったのか序盤は、黒が優勢に進めています。コミ無しの先番でマネ碁ですから、そうそう不利にはならない気がします。

そうすると、考えようによってはアマチュアの対局であれば優秀な戦法になりうるのかもしれません。しかし、私はマネられると、とてもイヤな気分になります。たぶん皆さんもそう思われるのではないかと思います。


棋譜解説(数字、記号入り)


白80から勝負どころを迎えました。ここは色々と変化があるそうですが、残念ながら私の棋力ではよく分かりません。白150の局面では、白が優勢のようです。

劣勢の黒はしぶとく、黒191とコウでがんばります。また、左辺は「万年コウ」と呼ばれる形で普通はセキにするところなのですが、呉少年は、ここでもコウでがんばろうとしました。しかし、下辺の飛び込みも大きく、ここで勝負あった感があります。

この碁は282手まで打たれ、怪童丸の3目勝ちでした。その後数年間、怪童丸は、大きな壁となり呉少年の前に立ちはだかることとなりました。


総譜を外部リンクいたしましたので、そちらで終局までご確認ください。

最後までご覧いただきありがとうございました。




(。・(エ)・。)ノ

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囲碁とは黒と白が交互に打って、自分の陣地の大きさを競うゲームであります。碁盤の目は361あり、黒白交互に打つと10の360乗ものパターンがあり、無限の世界と言われております。また、囲碁は、礼節を重んじ、礼に始まり礼に終わる競技でもあります。私はネット碁を楽しんでおりますが、ネット碁のおかげで囲碁は世界中に広まり、世界中で楽しまれるようになりました。囲碁に国境はありません。そんな囲碁の魅力や楽しさを少しでも伝えることができればと考えております。

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