スマホのない時代の話
棋書の紹介その19でご紹介した「簡明二・三子局の布石」で、武宮先生が次のように記しておりました。
「本因坊道策が安井春知に二子で1目負けになった碁は、あまりにも有名すぎるのでここでは省略しました。」
本書は、1983年1月に発行されています。
今から40年前といことは、スマホもパソコンももちろんインターネットもない時代です。
碁を打てるのは碁会所、もしくはサザエさんで描かれてるように友人宅かであります。
そういう時代ですと情報は棋書のみに限られてしまいます。
そういう時代だからこそ当時の囲碁ファンは、熱心で棋聖と称される道策の二子局の名局を当然のように知っていたのでしょう。(たぶん、、きっとそう。。)
しかし、現代の囲碁ファンは、道策の名前すら、ほとんどの方が知らないと思いますので、あらためて、武宮先生がおっしゃるあまりにも有名すぎる、本因坊道策の一生の名局をご紹介いたします。
実力十三段、本因坊道策
本因坊道策は1645年生まれの四世本因坊であります。
1678年名人碁所となり、当時の強豪をいずれも定先(下位者が3局のうち3局とも先番)から先二先(下位者が3局のうち2局を先番、1局を2子)に打ち込み、道策の碁所就任に異議を唱える者はなかったと言われております。(以降はいつも争いごとが起きています)
歴代の名人の中でもトップの実力者だとの評価もあります。
「道策流」は近代的、合理的な手法をあみ出し、碁の質を飛躍的に高めたと評価されております。
二子:安井春知、本因坊道策
二子:安井春知、本因坊道策、1683年11月19日、お城碁
今でも多くの方が実戦と同じように黒14とハネるのではないかと思います。
参考図です。
黒14とノビる方が良いと思います。こちらが定石です。
単にツギ、黙ってツギ
棋譜再生 |
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白27のツケから黒28、白29とハネた局面で、黒30とアテて黒32とツギました。
黒からキリのあるところをアテてツガせてしまっています。
だまって(単に)、黒30とツグのが筋が良いと大平修三先生と依田紀基先生の解説は一致しています。
ここは覚えたいところです。
「キリのあるところをお手伝いでツガせるのは良くない。(スジが悪い)」としっかり覚えましょう。
フリカワリ
黒58とアテから勢い白59、白61と突っ込み、白62から大きなコウが発生しました。
黒64のコウ材はありましたが、それ以上、黒にはコウ材がないので、黒68とコウを解消しました。
白は69と左上隅を取り切りました。
左上隅の出入りは40目以上、右上隅の黒の利得は地だけでいえば30目ほどですが、プラスアルファとして、黒の壁にへばりついた白6子の弱体化があります。
(右図)
大平修三九段は、変な手と称し、依田紀基先生は、黒70は、黒A(C12)のツケを狙った手だがそれは話が遠いのではないかと疑問視していました。
黒70では、黒B(N11)を大平、依田、両先生とAIの一手が推奨しています。
白81、白85と道策の手は軽やかです。
生涯の一局
(左図)
白107まで、黒が相当悪いでしょう。白は十分にサバキ形を得ることができ、右下も白模様になってきました。と依田紀基先生の解説があります。
(右図)
下から受けるとキリチガえられますので、道策は白121と上から受けました。
黒132のノビは大きな手です。
この碁は277手まで打たれ、黒の1目勝ちとなっております。
二子置かせて1目負けの碁を名局と呼ぶ習わしは、この碁からきています。
また、道策自身が生涯の一局として、この安井春知とのお城碁での2子局を選んだとのことです。
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コメントありがとうございます。
大切に読ませていただきます。