購買層が限られておりますので、出版してしばらくすると絶版になってしまいます。
ゆえに、ここでご紹介した棋書もすでに書店の店頭にはないかもしれません。
その点はご了承をお願いいたします。
著者:福井正明九段 誠文堂新光社
本因坊跡目となった丈和が、お城碁初出仕の対局であります。お相手は、井上家当主、安井仙知(中野知徳)。
先日ご紹介した、元丈、因碩戦と同じ日であります。本因坊家、井上家の跡目が初出仕で、それぞれの当主とぶつかっており、元丈、仙知の時代から丈和、幻庵因碩の時代に移りかわろうとしています。
お城碁は年に一回、江戸城の本丸御殿黒書院で、将軍臨席のもとに行われました。期日は11月17日、参加資格は、家元、跡目、七段以上でありました。
当日は、ただ並べて見せるだけで、実際の対局はその直前、寺社奉行宅で数日間にわたって打たれおり、これを下打ちといいます。
下打ち中は、外出厳禁であったことから、「碁打ちは親の死に目に会えない」と言われていました。
これは下打ち中は、外出できないからであって、碁に熱中しすぎて会えないの意味はございませんので、ご注意ください。
先、本因坊丈和、安井仙知
先、本因坊丈和(六段)、安井仙知(八段)、1819年11月17日、江戸城(お城碁)
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黒3、白4の高目は当時でも珍しいとのことです。
黒33から黒37と右下の黒がコリ形になってるので、このワカレは白が気持ち良いと思ったのですが、AIの一手(無料のAIソフト)によると黒51まで互角の形勢でした。
互角というのは、初手から形勢変わらずという意味で、この時代は、コミがないので、初手から黒が6.5目リードとなっており、それが黒51まで変化がないという意味であります。
(右図):幻庵因碩の参考図
幻庵因碩の著書である「囲碁妙伝」に左上の当時の定石についてコメントがありますので、ご紹介します。なお、「囲碁妙伝」は、幻庵因碩が引退したのちに書かれた書物で、この対局からは、30年ほどの月日が経過しております。
幻庵因碩の師である服部因淑の説として、白46は、白1とキってツギ、黒4のカカエに白5と構え、図にはありませんが、黒6(E13)はポンヌキ、白7(J17、白5から大ゲイマの位置)と構えるとあります。
幻庵因碩の解説
「白48ノ手、此の形ニテハ丈和流1の所エ打ツ方、然ル可シ」
白1のケイマは当時の新手で、丈和が幻庵因碩戦で用いた手です。
旧定石よりも白は、楽しみがあったのではないだろうかと高木祥一先生は、幻庵因碩の説に賛成しております。
(右図):左図、白3の変化図
「黒2に白3とオサえ込む筋は、少し時代が下がって、秀策、秀甫戦で打たれおり、黒8でAのヌキなら白Bと調子でハネます。」と高木祥一先生の解説であります。
AIの一手(無料のAIソフト)の黒51までの評価は、黒6.5目リードとなっており、序盤から形勢は動いておりません。
戦わずにして勝つ
「兵書ニ曰ク、全キ勝チハ戦ハザルニアリ。53、57と打チテ1目ヲ捨テル心、右孫子ノ意ニ合エリト謂ウベキカ。59ノ手、同断」と幻庵因碩の評です。
孫子の兵法のように、戦わずして勝つのが完全な勝ち方だと言っております。
初めてのお城碁という大舞台で、相手も仙知という最強の相手に完勝を狙っているのでしょうか。大胆不敵な丈和です。
(右図):実戦図、白92まで
「黒83が絶妙の継続手段。白84から黒91まで、黒の大成功と見ていいでしょう。」と福井正明先生の解説です。
「攻めずに白90、92を許し、収まらせたのは、計算が立ったということ。ヨセに入って黒の勝ち動かずと自信を持ったということ。」とは、高木祥一先生の解説です。
この碁は、256手まで打たれ、黒の5目勝ちとなっております。
コミ無しのリードを序盤からしっかりと守り切り、丈和の鉄壁の黒番でした。
なお、丈和、仙知戦は、4局残っており、段位の関係で、すべて丈和の先で3勝、1打ち掛けと丈和の全勝となっております。
3局のどれもが名局とされていますが、最後の対局が特に有名で、「当世極妙碁」と名付けられております。
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